家庭の終焉

Posted on 28th 4月 2010 by admin in 未分類

「本当はgree 裏技脱退したかった」。加藤茶がドリフを”抜けられなかった”意外な理由。このドリフターズ時代って、まさに「家族」が「核家族」に移行する時代と符号していたと思う。老若男女が楽しめるゴールデンのお笑いって、このあたりが最後の全盛だったんじゃないか。今はほとんどすべて細分化したり専門化したり、マニアックになったと思う。電話が子機化したり、居間から各部屋化したりするのもまさにこうした時代以後。核家族ってそういう時代だと思う。「サザエさん」・「ちびまるこ」から「クレヨンしんちゃん」へ。しかし今はもっと細かい、核家族すら成立しなくなっている時代だと思う。携帯電話の登場はまさにそれだし、「クレヨンしんちゃん」の家族像が〈失われた理想〉として胸を打ちヒットするのも、そういうノスタルジーに起因する。そんな「クレしん」がかつて映画でドリフターズ時代(前核家族時代)を欲望したのも、実に意味深だ。事象が反復している。現在「個」が「核家族」を欲望したように、「核家族」は「(大)家族」を欲望したのだといえる。そういう意味で作者の臼井氏が亡くなったのは象徴的なのかもしれない。自分の体験に話を移せば、僕はあまり家族でテレビを見たという記憶がない。しかし日曜日の夕飯時に「サザエさん」と「こち亀」を家族みんなで見るというのは習慣的にやっていた。僕が中学生ぐらいの頃だから、六年前ぐらいの話。けれどそれも、折の不況で父が忙しくなり、僕と弟が長じて夜遊びをするようになり、祖父が認知症になり、母が仕事を始め、といったようなことが重なって失われてしまった。だから僕がテレビを見ていた頃は、ひとりで深夜放送を見るとかそんな程度のものだった。ほとんどひとりで見た記憶しかない。だからといって険悪な関係というわけではないが、サザエさんやちびまるこが今の家庭というものを見たら、まるで他人が同じ箱で暮らしているように見えるのかもしれない。